お母さんに、見した。
ぎりぎりまで読ませるかどうか悩んだ。
出来るだけ、負の要因を与えたくない。
この本の筆者は、「障害者」であることを認識している。
が、母は違う。
受け入れていない。
私もだけど・・。
読みながら、母に読ませて良いかどうかを、考えた。
この本は、私にとっては、晴天の霹靂の様な本だった。
2月や3月や、そのころに読んでいたならまだ介抱の仕方が違ったのかもしれないとも思う。
ただ、
がむしゃらに、真剣にぶつかり合った日々にも、現在までの病状回復への鍵があったのではないかと思う。
そこいらへんを研究して、
将来は、もっと家族への負担を軽くしたい。果てには本人への負担の軽減にもつながると思う。
話がそれたけど、
この本の書評には、こういうものが多い。
「脳の機能局在への理解に著しく役に立つ。」
私も、去年にこの本に巡り合っていたなら、こういう感想を持ったに違いない。
でも、今は不愉快。
すんごい不愉快に思うの。こういう感想が。
患者は医者の知識探求における実験体では、決してない。
そういう気持ちから、すんごいむかついた。
でも、去年の12月に読んでたら、そういう対象の感想だったと思う。
この本は、何がすごいかというと、
ある程度回復した段階で、それを考察してあるということだと思う。
「当事者自身の考察」
これが、私がもっとも必要としていたものである。
高次機能障害とされる人の傍にいて、相手を理解したいと思っても、
自分と違う部分が、また、今までのその人と違う部分が、
「甘え」に見えてしまうのだ。
「以前はもっと向上心があったのに。」「どうしてもっと頑張れないの?」
と、喧嘩になる。
受け入れられない。
受け入れなくては、と無理に覚えこむと、鬱っぽくなったし、しんどかった。
「宇宙人」というのは、言いえて妙な表現の仕方だと思う。
本当に、宇宙人になってしまったのかと思ったほうが、楽なくらいだった。
そして本人も、そう感じるのか、苦しそうだったし。今もまだ、不安気である。
母の感想は、第一は、「この人は何て気丈な人なんだろうか。」
だった。
また、「この文章を書くのはとても大変だったと思うよ。なぜなら単語が出にくいんだもの。」と言ってた。
母と話していると、
「あれがそうだったと思うんよね。」とか、
すべてが指示語(だっけ?)で終結したりする。
で、「あれって何ね?」って聞く。毎回。
頭の中には組み立てられてるものが、出てこないのだ。
失語の状態なのかもしれんね。言わないでおくけど。
母は、「この本によって、他にどんな不自由が自分に出てきているかを見るよ。」
って言ってた。
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