ときどき、くもり。
うにうに。
嫌なことなんて、なかった。
ただ、
ただ少し、惨めさを、
自分への、失望感を感じる事がある。
今研修している人たちと、話す時に無理してる。
そりゃぁあ無理してるさぁ。
世間的には、相手は勝ち組。私は負け。だから無理もする。
でも、
でも本当は、私は私で、自分のするべきことを、見失わなかったんよ。
ちゃんと身に染みてない。
はみ出していく。
何回も、自分を定義するのに。
仕方ないから、もっかい定義するよ。
あの時一番に思ったことは、
ここで、そんなことになったら、うちの家族は誰も頑張れないってこと。
もしそうだったら、うちの家族は、崩壊するってこと。
だから、万が一にも、そんなことは起こってはいけないって思った。
気力で、運命を変えてやるって思った。
もしもなんて、
もしもなんて、まったく考えてはいけない。
言霊があるように、意識にもなにか、影響しうる因子が存在するんだと、
だから。
一家を支えるってことは、
国家試験の勉強をすることよりも遥かに重要事項だった。
今でもそう。
今でも。
で、
何故だか成功した。
あの頃の私にとっては、この結果は必然である必要があったんだけど、
思い込むことは、それは現実とは異なっていて、
でも、
お母さんは元気になった。
障害の程度も軽い軽い。
あとちょっとで、全快する勢いだ。
できれば、来年の1月までに、
結果が見えるくらいの回復を示してくれたら最高。
なんて、
欲張りかな。
お父さんも、120まで生きてください。
すんっごい元気で。
おじいちゃん、おばあちゃんも。
そして、勿論お母さんも。
話は戻るけど、
これから出会う、すべての人の前で、弁解していくことは難しいし、
国家試験を受かってしまうまでは、それも惨めさを伴う作業だったりする。
一番自分が成長する方法は、
これから出会うすべての人の前で、
弁解しないこと。
それで、
少し出遅れた地点から、
これから出会うすべての人に、認められる人間になること。
大変だけど、やりがいはある。
それに、
それにっていうか。ていうか、家族も親戚も、
あと、おじちゃんの所の院長も、
(よく治ってくれた)
っていうのは、確実に思ってる。
それから、
(交通事故って何て恐ろしいんだ)
っていうのも、思ったろう。
ついでに、
(まゆちゃん、よく頑張ったね。お父さんもよく頑張った。弟も。)
って、
思っといてくれると救われる。どうなんだろうね。
人の気持ちなんか、それに頼るのは弱い
って、元気なときは思うけど、
(偉いね。偉かったね。)
って、言われないと小っちゃくなっちゃうときもある。
誰かゆって〜。
ううん、思ってて下さい。
うちは案外厳しくって、
「でも、来年まで落ちたらそれはうんたらかんたら・・・」
って、言う。言いくさる。
スパルタです。
何にスパルタかって言うと、
私は落ちる気は更々ないのさ。
9割が合格するっていうテストに今年落ちたのは、
お母さんが、「犬や猫について行きなさい。そしたら人通りの多いところに必ず着くから。」
なんて言ったことにも原因があると思う。
普段、しっかりしている人にそんな事言われても、さっぱりダメージが無いんだけど、
今回はきつかった。
背後に伺われる障害の度合いを、
脳の機能の程度を、鑑みてしまって、激情に呑まれそうだった。
このことも、忘れないようにしないと。
いつか来る患者さんに対して、すべてをわかってあげることは出来ないけど、
測り知れないんだということを、わかっていられるように。
![Powered by 269g[ブログ・ジー]](http://269g.jp/img/269g.gif)